Xにも書きましたが、ここ数日は家庭の都合で妻が家を空けており、私1人で愛犬もっぴのお世話をしていました。これも一種のワンオペですね(笑)
とはいえ、やることといえば食事の支度やトイレの掃除、昼の運動と夜の散歩、歯磨き、ブラッシングなど、普段やっていることと変わりませんし特に大変なこともありません。
ですが、ワンオペに挑戦したこの数日間は想像以上に疲れました。なぜかというと「愛犬を守り健康に育てるということの全ての責任が今は自分1人にかかっているのだ」と思えてしまって、それがプレッシャーのようになって、常にうっすら緊張していたんです。
普段は(流石に10ヶ月近く一緒にいるのでお世話にも慣れましたし)そこまで神経を張り詰めて犬と接しているわけではなかったのに、1人になった途端に短時間の留守番をさせるのも、ちょっと家事の間に目を離すのも神経を使いましたね。
この体験から、私は「やっぱり子育てをされている方や、家族の介護をされている方など、誰かのお世話をしている人ってすごいなぁ」と改めて思いました。つい肉体的な苦労にばかり目がいってしまいますが、労働が発生していない間にも気を使うことが多く、常に大変なのだろうなと。
今後の自分の生活では、そういった方に接する際に今以上に思いやりが持てたら良いなと思います。それが、この愛犬のお世話を通じて私が学んだことでした。
さて。別にえらそうなことを言うつもりはないんですが、今回のことを通して「他者の苦労とか状況に共感できるようになるには、自分が体験したことの幅を増やすしかないのかもしれない」と思いました。
やっぱり、自分がそうなってみないとわからないことや、気がつけないことってたくさんありますね。もちろん完全に同じ苦労を体験をすることはできないのですが、仮にその何十分の一かの体験であっても、そこから感じ取れることって本当に多いのだと思います。
私の例で言えば、先述の通り犬を飼ってみたおかげで子育てや介護といった誰かのお世話をする苦労に対して、これまでよりもほんの少しリアルに共感できるようになりましたし、自分が精神を病んでしまった際には、過去に似た症状を訴えていた友人に当時どのように接すればよかったのかを理解できました。
今の会社で漫画編集者のお仕事をさせて頂いた経験から、漫画雑誌を読む時に作り手の目線にも立って考えられるようにもなりました。そうだ、この間まで顔がパンパンに腫れてしまって食事もしんどかった私ですので、今後ももし知人が私のように顔を腫らしていたら、どんな差し入れを持って行けばいいかわかります(笑)
自分には若い頃の失敗の思い出や、今でも思い返すと胸がちくりと痛むような苦い記憶がたくさんあります。でも、その根底にはいつも共通して他者への無理解や共感する心の欠如があったように思うのです。
だからこそ、私は今後も自分に想像・共感できる分野をもっと増やしたいと思いますし、そのために自分が行動する幅を増やしていきたいと思います。
もしかしたら、それを「人間的な成長」と呼ぶのかもしれません。
とはいえ、やることといえば食事の支度やトイレの掃除、昼の運動と夜の散歩、歯磨き、ブラッシングなど、普段やっていることと変わりませんし特に大変なこともありません。
ですが、ワンオペに挑戦したこの数日間は想像以上に疲れました。なぜかというと「愛犬を守り健康に育てるということの全ての責任が今は自分1人にかかっているのだ」と思えてしまって、それがプレッシャーのようになって、常にうっすら緊張していたんです。
普段は(流石に10ヶ月近く一緒にいるのでお世話にも慣れましたし)そこまで神経を張り詰めて犬と接しているわけではなかったのに、1人になった途端に短時間の留守番をさせるのも、ちょっと家事の間に目を離すのも神経を使いましたね。
この体験から、私は「やっぱり子育てをされている方や、家族の介護をされている方など、誰かのお世話をしている人ってすごいなぁ」と改めて思いました。つい肉体的な苦労にばかり目がいってしまいますが、労働が発生していない間にも気を使うことが多く、常に大変なのだろうなと。
今後の自分の生活では、そういった方に接する際に今以上に思いやりが持てたら良いなと思います。それが、この愛犬のお世話を通じて私が学んだことでした。
さて。別にえらそうなことを言うつもりはないんですが、今回のことを通して「他者の苦労とか状況に共感できるようになるには、自分が体験したことの幅を増やすしかないのかもしれない」と思いました。
やっぱり、自分がそうなってみないとわからないことや、気がつけないことってたくさんありますね。もちろん完全に同じ苦労を体験をすることはできないのですが、仮にその何十分の一かの体験であっても、そこから感じ取れることって本当に多いのだと思います。
私の例で言えば、先述の通り犬を飼ってみたおかげで子育てや介護といった誰かのお世話をする苦労に対して、これまでよりもほんの少しリアルに共感できるようになりましたし、自分が精神を病んでしまった際には、過去に似た症状を訴えていた友人に当時どのように接すればよかったのかを理解できました。
今の会社で漫画編集者のお仕事をさせて頂いた経験から、漫画雑誌を読む時に作り手の目線にも立って考えられるようにもなりました。そうだ、この間まで顔がパンパンに腫れてしまって食事もしんどかった私ですので、今後ももし知人が私のように顔を腫らしていたら、どんな差し入れを持って行けばいいかわかります(笑)
自分には若い頃の失敗の思い出や、今でも思い返すと胸がちくりと痛むような苦い記憶がたくさんあります。でも、その根底にはいつも共通して他者への無理解や共感する心の欠如があったように思うのです。
だからこそ、私は今後も自分に想像・共感できる分野をもっと増やしたいと思いますし、そのために自分が行動する幅を増やしていきたいと思います。
もしかしたら、それを「人間的な成長」と呼ぶのかもしれません。
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